<ガンガサガールの美しい人>
私には自信がある。社会人、常識人としての自信ではなく、一人の人間としての自分に自信がある。私の心は、母親に抱かれた赤ん坊。母親のぬくもり、心臓の鼓動を聞き、ゆりかごのように揺られ、完全に安心し、平和で満ちた状態。まるで聖人にでもなった気分である。しかし、残念ながら、この私の人間として自信も、ガンガサガールに滞在している時に限る。
ガンガサガールは、コルカタ(旧カルカッタ)から120㎞南にある、フーグリー川の河口に浮かぶ、サガールアイランドの南端にある村である。メインロードから裏路地に逸れれば、土や木で造られた家がヤシやシダの木に囲まれて自然と調和した美しい風景を作っている。私は、その美しい佇まいの家並を写真におさめて歩いた。
陽もだいぶ傾いた頃、ある家の前で、私がカメラを構えた時に、一人の女性が様子を伺いながら家から出てきた。女性は中年の細い美しい人であった。彼女の家の庭には、他の家では見られないほどに大きい、神様の祭壇がある。裏にも、寺院があるから行けと言う。その声は綺麗な顔とは裏腹に、肝っ玉母さんのように大きかった。別れ際に、あなたの写真を撮りたいと伝えると、照れながらも、その人柄がそのまま表れたようないい笑顔を見せてくれた。この写真は、その女性である。
私は迎えにきてくれた友人のリシケシと一緒に、すでに陽が沈んだメインロードをサイクルリキシャー(三輪自転車)の荷台に乗って、宿にしている寺院へ向かった。街灯がない為に辺りは闇である。サイクルリキシャーは、時折、パフパフッとラッパのクラクションを鳴らしながら暗闇を躊躇なく走る。日焼けした頰を涼しくなった風が冷やしてくれる。風を切る音、地面とタイヤの摩擦音、コトコトと小さく揺れる荷台、空を見上げると天の川、あ、流れ星と思いきや蛍の光。私は、自信と平和に満ちていた。間違いなく私は、ガンガサガールで平和になった。ガンガサガール限定の平和。
私はあの女性の顔を思う。人は環境次第だと思う。ベンガルの豊かな水と緑と太陽と、昔ながらの生活と神々と家族が織り合って、人に優しい環境を造り、優しい人間を作り出している。私の平和は、ガンガサガールの自然から来たのだと確信する。
しかし、最近は、ここの平和な風景も雨に濡れる事が多くなった。以前に比べると雨の降る日が増えているらしい。環境問題だとリシケシは言う。気候の変化が不吉な予感をかき立てる。あの女性の微笑みを照らす陽の光は、雨雲に遮られて行くのだろうか。