<バルダンゴンパの僧>

バンダンゴンパの僧

 その夜は、バルダンゴンパ(僧院)の向かいにあるパスポートチェックのテントを寝床とした。前日、トレッキングの帰り道に、親切な地元のラダック人がここまでジープで送ってくれ、「空も暗くなっているので、今晩はここに泊まればいい」と、テントに駐屯している兵士に頼んでくれたのだ。兵士も心優しいラダック人なので、快く応じてくれ、夕食まで当たり前のように用意してくれた。私は、木も生えない瓦礫の谷で、不安や心細さなど微塵も感じることなく、深い眠りにつく事が出来た。

 

 翌朝、起きると、テントの外から太鼓の音が響いてきた。向かいのゴンパからであった。私は、兵士にお礼を言ってゴンパに向かった。ゴンパの中は、人の気配がなく、ただ、太鼓の音が聞こえるだけだった。中央の中庭に出ても、刺さる程の強い日差しが、陰と陽の境界線をくっきりと作りながら辺りを照らすだけで、人の姿は見当たらない。太鼓の音は、すぐそこで鳴り、お経が聞えてくる。私は、太鼓の音が鳴る部屋の入口をくぐった。

 

 部屋には、若い層が一人で座り、手にシンバルのような楽器と太鼓を叩く長い棒を持ち、太鼓の厚い音とシンバルの金属音と同時に鳴らし、全身でリズムをとりながら、大きな声で叫ぶように経を唱える程であった。私は、外に出て僧のお勤めが終わるのを待った。お勤めは中々終わらない。相変わらずの早いリズムで、お経を唱えている。私は、中庭に座り込んだ。太鼓の低音とシンバルの金属音が青々と澄んだ空に飛んで行く。

 

 待った甲斐があって、二時間以上続いた太鼓の音は鳴り止み、しばらくして、若い僧が、眩しそうにしながら部屋から出てきた。私は、ラダック語の簡単な単語を並べて会話を試み、そして、写真を撮らせてもらった。爽やかな表情だった。

 

 私は、聖書の言葉を思い出す。「汝、祈るとき偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕さんとて、会堂や大路の角に立ちて祈る事を好む」

 

 これは、旅行に持って来た小説に載っていた言葉である。

 

 ここは、荒野。寺院はあっても人はいない。偽善者の如く祈っても仕方ない土地である。そんな事よりも何よりも、本人の顔を見れば一目瞭然である。この若い僧には影が無く、ザンスカールの強い日差しが、彼自身を反射板として、私に強く差し込んだように思われるくらい眩しかった。