<ガンジス川の波紋>
インドでは、当たり前の日常風景も、日本人旅行者にしてみれば、盲目に光を与えてくれる素晴らしき世界だった。
インドでも有数の聖地バラナシ。私は、まだ、肌寒い日の出前のガンジス川沿いを散歩していた。辺りはまだ暗いのだが、沐浴場にはもぞもぞと巡礼者の影が動いている。日の出前の闇の中、冷たいガンジス川に身を沈めているのだ。歩きながら横目で何気なくその風景を見ていたのだが、その光景に足を引き止められた。私はそこに、人間を含めた自然界の縮図を見た。
友達なのであろう三人の男達が、「お〜寒い寒い」などと言いながらガンジズ川に身を沈めていった。川面は対岸の空が、もやっと写り込み、三人の輪郭と動きによって生まれた波紋が、浮かび上がって綺麗だった。
一つの動きに一つの波紋が生まれて広がり、隣の人の波紋と交差して、溶け合い、影響し合い、更に広がり、ガンジス川の流れに呑み込まれていった。私は、人の一挙手一投足は全てのものに影響し、人は全てのものから影響を受けているという事を、インドの日常風景から教えてもらった。
あなたの動き、言葉、存在が、私を動かし、私の存在が、あなたを動かす。
ここバラナシでは、火葬された灰、あるいは死体そのままがガンジス川に流される。波紋がガンジス川の流れに呑み込まれるように、人が自然に帰されていく。帰されていくというのは、間違いなのかもしれない。人間は、はじめから自然なのだから。だから、私たちは、忘れてはいけない。自然を汚すという事は、自分を汚すという事。自然である私たちは、常に影響し合い、連鎖して、循環している。
最近は、インドでもプラスチック製品が流通して、街のいたる所にプラスチックのゴミが散乱している。以前は、素焼きの器や葉のお皿を使っていたので、道端に捨てても自然に帰っていたのだが、直線的な消費しかない現代の製品では、プラスチックゴミが溜まる一方である。
私たちは、考えなければならない。物事は影響し合い、連鎖して、循環する。