<小さな花泥棒>

小さな花泥棒

 友人で僧侶であるギリ・ジーと別れ、出口の門へ向かうと、三人の子供が、少し声をひそめておしゃべりをしながら寺院内へ入ってきた。三人は、動画の早送りのようにチョロチョロと歩き、当たり前のように竹の柵をよじ登り、畑の中へ入っていった。

 

 私は知っていた。この畑は、ギリ・ジーが地道に耕して作ったものなのだ。子供たちが、ひそひそ話しをする姿を見る限り、了承を得ていとは思えなかった。私は彼らの行動を見守ることにした。

 

 三人は何かをちぎっては、袋に入れていた。果物の実を採っているのかと思ったが、袋の中身を見せてもらって、おや?と思った。黄色いビニールの袋には、色々な種類の花が、もぎ取られて入っていた。おやつになるような感じではない。袋を開けて見せてくれている子供の目は真ん丸で、本日の収穫を自慢するかのようである。他の子供達も、生き生きとした花ばかりを選んで、上の方から上の方からと、少々強引に引きずり下ろすように花をもぎ取っていた。見る限り一番いい感じで咲いている花ばかりを狙っているのである。ああ、ギリ・ジーの丹精込めて作った庭が…

 

 子供達は、充分な収穫を得ると、寺院から出て行き、海の方へチョロチョロ歩いて行った。

 

 私は何となく解った気がした。この先には、この時間にプージャ(お祈り)をする小さなお寺があるのだ。子供たちは、寄り道をして、更に花を収穫すると、お寺の前に着いた。そして、この辺りで遊んでいる他の子供たちも集まると、皆で神様の周りを花で丁寧に飾り始めた。神様を飾っている花が、いつも新鮮で生き生きしているのは知っていたが、子供達が採ってきた物だとは、気が付かなかった。

 

 信仰が身近にあるこの環境では、子供が自然に信心深い大人へ成長していく。このお寺では、サンカルカンという漁師が、母親と一緒にプージャを行っている。親から子へ受け継がれているのだ。そして、サンカルカンの小さな息子も、もうすぐ他の子供たちに混ざって、神様を花で飾るようになるのであろう。